紀久屋スタッフブログ
2018年03月31日
桜が本当に見頃ですね。
県北の方はまだかと思えば、
津山の鶴山公園ももうしっかりとお花見を楽しめる七分咲とのことで、
最近の温暖な気候で一気に咲いているのを感じます。
少し前にブログで紹介した「醍醐桜」も、
現在五分咲で4月2日には満開の見込みだとか。(ブログ記事はコチラ)
去年は10日に満開を迎えていたので、一週間ほど早いわけですが、
今日から地元の方が醍醐桜付近の休憩所で地元特産品販売とともに
ライトアップも開始する予定。
この土日は、県内いろいろなところでお花見やお花見イベントが楽しめそうですね。
紀久屋でも明日、4月1日には「きものパーティー」という
一年の中でも大きなイベントが開催されます。
紀久屋に関わってくださる皆さんに感謝を込めてのパーティーなのですが、
後楽園近くのプラザホテルで開催ということで、混み合うことが予想されます。
さらに、明日は岡山の宗忠神社の御神幸が行われますので、
きものパーティーに参加予定のお客様も、桜カーニバルや後楽園へ行かれる予定の方も
事前にルートチェックや、早めの行動がおすすめです。
どこへいくにも混み合うことが予想されますので、
くれぐれも、お気をつけてお出かけください。
春といえば、思い浮かべるのはやはり「桜」、
桜の開花を待ち望み、お花見できる日を心待ちにするほど、
日本人はどうしてこんなにも桜の花を好むのでしょうか?
昔から桜が大切にされてきた…というのも間違いではないのですが、
万葉集には実は桜よりも「梅」が詠われています。
海の向こうの憧れの国、唐の文化を重んじることが教養につながることもあって、
この時代、日本古来の桜が目の前にありながら、
歌人たちは梅の花をこよなく愛し謳ったのでしょう。
梅は教養の象徴でもありました。
しかし、農耕民族の私たちにとって、
桜はいつの時代でもこころのよりどころであることに変わりはありません。
奈良時代には梅の花見が人気でしたが、
平安時代になると、遣唐使の廃止(894年)の影響を受け、
花見の対象は梅から桜へと変わっていきます。
そのため、平安時代に作られた「古今和歌集」では、
梅と桜の人気が逆転し、桜が登場する歌の方が多くなるのです。
「桜」の語源は諸説あるのですが…
桜の「さ」は、「早苗」「早乙女」の「さ」。(田んぼの神様)
「くら」は、「神楽」「神蔵」の「くら」。(神様の宿るところ)
つまり、神様のやどるところ、よりどころのことを「桜」と呼んでいました。
−日本には、八百万の神様がおいでになります。
春の気配を感じると、枝だけの桜の木が
ほんのりと頬を染めるように色づいているのに気がつくことがあります。
じっと冬の寒さに耐えながら、幹に、枝に命を秘めて、
春を待っていた黒い木に、神が宿ります。
さぁ、畑を、田んぼを耕す季節の始まりです。
身体の中に力があふれみなぎります。−
こうやって私たちの祖先に思いを馳せて想像してみると、
農耕民族の日本人が、春が来たことを告げる桜の花に思いを寄せたのも、
納得できるような気がしませんか?
種を蒔き、大切に育て、その実りに感謝して、そして大切にいただく。
そうしたDNAが私たちの中に、絶えず受け継がれてきたのではないかと思います。
そして、桜には「命を守る」という願いも込められています。
火事が多かった江戸の町で、火災が起きたときの避難場所には
桜の木が植えられていたそうです。
そこにお花見をすることで、知らずしらずのうちに、いざという時の予行演習を。
また、蛇行した川沿いにも桜は植えられました。
川沿いの地盤の弱いところは、人々が花見に訪れることで
地面が踏み固められ、土地を固く強くするという狙いもありました。
桜は、命を守る象徴でもあったのです。
そんな「桜」は、着物の柄(文様)としてもよく描かれています。
描かれたその文様には、
大切な人への深く強い思いや祈りを込めていたのだと思います。
桜以外にも、着物の文様にはそれぞれいろいろな意味があるので、
お嫁入りで誂えられたお着物、または譲り受けたお着物の
文様を気にして見てみるのもおもしろいかもしれませんね。
桜は、今でもなお日本人の心の支え、よりどころとなっています。
東日本大震災の被災地でも「さくら並木プロジェクト」などが立ち上がっています。
震災を忘れることなく、次の世代に語り継ぐために、
そして、避難場所の目印ともなるように、命を守るシンボルとして。
桜だけの話ではないですが、
いつの時代でもたくさんの願いとともに桜はあるのだと改めて感じました。
県北の方はまだかと思えば、
津山の鶴山公園ももうしっかりとお花見を楽しめる七分咲とのことで、
最近の温暖な気候で一気に咲いているのを感じます。
少し前にブログで紹介した「醍醐桜」も、
現在五分咲で4月2日には満開の見込みだとか。(ブログ記事はコチラ)
去年は10日に満開を迎えていたので、一週間ほど早いわけですが、
今日から地元の方が醍醐桜付近の休憩所で地元特産品販売とともに
ライトアップも開始する予定。
この土日は、県内いろいろなところでお花見やお花見イベントが楽しめそうですね。
紀久屋でも明日、4月1日には「きものパーティー」という
一年の中でも大きなイベントが開催されます。
紀久屋に関わってくださる皆さんに感謝を込めてのパーティーなのですが、
後楽園近くのプラザホテルで開催ということで、混み合うことが予想されます。
さらに、明日は岡山の宗忠神社の御神幸が行われますので、
きものパーティーに参加予定のお客様も、桜カーニバルや後楽園へ行かれる予定の方も
事前にルートチェックや、早めの行動がおすすめです。
どこへいくにも混み合うことが予想されますので、
くれぐれも、お気をつけてお出かけください。
春といえば、思い浮かべるのはやはり「桜」、
桜の開花を待ち望み、お花見できる日を心待ちにするほど、
日本人はどうしてこんなにも桜の花を好むのでしょうか?
昔から桜が大切にされてきた…というのも間違いではないのですが、
万葉集には実は桜よりも「梅」が詠われています。
海の向こうの憧れの国、唐の文化を重んじることが教養につながることもあって、
この時代、日本古来の桜が目の前にありながら、
歌人たちは梅の花をこよなく愛し謳ったのでしょう。
梅は教養の象徴でもありました。
しかし、農耕民族の私たちにとって、
桜はいつの時代でもこころのよりどころであることに変わりはありません。
奈良時代には梅の花見が人気でしたが、
平安時代になると、遣唐使の廃止(894年)の影響を受け、
花見の対象は梅から桜へと変わっていきます。
そのため、平安時代に作られた「古今和歌集」では、
梅と桜の人気が逆転し、桜が登場する歌の方が多くなるのです。
「桜」の語源は諸説あるのですが…
桜の「さ」は、「早苗」「早乙女」の「さ」。(田んぼの神様)
「くら」は、「神楽」「神蔵」の「くら」。(神様の宿るところ)
つまり、神様のやどるところ、よりどころのことを「桜」と呼んでいました。
−日本には、八百万の神様がおいでになります。
春の気配を感じると、枝だけの桜の木が
ほんのりと頬を染めるように色づいているのに気がつくことがあります。
じっと冬の寒さに耐えながら、幹に、枝に命を秘めて、
春を待っていた黒い木に、神が宿ります。
さぁ、畑を、田んぼを耕す季節の始まりです。
身体の中に力があふれみなぎります。−
こうやって私たちの祖先に思いを馳せて想像してみると、
農耕民族の日本人が、春が来たことを告げる桜の花に思いを寄せたのも、
納得できるような気がしませんか?
種を蒔き、大切に育て、その実りに感謝して、そして大切にいただく。
そうしたDNAが私たちの中に、絶えず受け継がれてきたのではないかと思います。
そして、桜には「命を守る」という願いも込められています。
火事が多かった江戸の町で、火災が起きたときの避難場所には
桜の木が植えられていたそうです。
そこにお花見をすることで、知らずしらずのうちに、いざという時の予行演習を。
また、蛇行した川沿いにも桜は植えられました。
川沿いの地盤の弱いところは、人々が花見に訪れることで
地面が踏み固められ、土地を固く強くするという狙いもありました。
桜は、命を守る象徴でもあったのです。
そんな「桜」は、着物の柄(文様)としてもよく描かれています。
描かれたその文様には、
大切な人への深く強い思いや祈りを込めていたのだと思います。
桜以外にも、着物の文様にはそれぞれいろいろな意味があるので、
お嫁入りで誂えられたお着物、または譲り受けたお着物の
文様を気にして見てみるのもおもしろいかもしれませんね。
桜は、今でもなお日本人の心の支え、よりどころとなっています。
東日本大震災の被災地でも「さくら並木プロジェクト」などが立ち上がっています。
震災を忘れることなく、次の世代に語り継ぐために、
そして、避難場所の目印ともなるように、命を守るシンボルとして。
桜だけの話ではないですが、
いつの時代でもたくさんの願いとともに桜はあるのだと改めて感じました。