紀久屋スタッフブログ
2017年11月15日
急に北風が強くなり、秋をとばして冬になってしまったのではないかという毎日。あちこちで風邪が流行っていますね。今年はインフルエンザのワクチンが足りなくなってきているというニュースを耳にして、大丈夫かしらと心配したりしています。なにごとも早めが大切だと改めて思う今日この頃です。
さて、たんすコンシェルジュへの相談ごとですが、本当にご相談内容や悩みは多岐に渡っていて、着物の奥の深さや、たんすの中の「ものがたり」を感じる今日この頃です。洋服だったら、例えばもう着られないとか、かなり流行遅れとか、相当傷んでいるという場合に処分することがありますよね。私の友人は1年着なかったらもう捨てるという断捨離のプロがいます。私は……? ついついとっておいてしまうほうですが、それでも10年前、20年前の服はさすがにありません。
でも、着物は10年前のものがたんすに入っています。20年、30年前のものもたんすに入っていることが当たり前の世界。それだけ高級ですし、大切ですし、貴重なものばかりです。帯も同じこと。
着物はいらなくなっても、着なくなっても、派手になっても、女性が捨てられないものなのだろうと思います。
高級でもったいないから! という理由だけではなく、その着物にまつわる思い出や、思いの深さが「捨てる」という行為と直結しにくいのでしょうね。単なる布ですが、なんとなく、その方の人生の歴史や重みを感じることがあります。
先日、実家のお母さまが亡くなって数年後、お父さまが施設に入るために引っ越しをすることになり、家のものを少なくしなければならないということで、たんすの処分にお困りの方から相談があったので、紀久屋のたんすコンシェルジュがお客さまと一緒に、そのご実家のお宅へうかがって、たんす診断をしてまいりました。
お父さまは、着物のことはすべて奥さま任せで分からないとおっしゃっていらしたのですが、
「それは、お前が七五三の時に母さんが着ていただろう」とか、
「それは、気に入ってずいぶん着ていたぞ」とか、
「その着物はお見合いの時に母さんが着ていた」とか、
「それは、オレが買ってやった帯だ」とか、
なんだか、「分からない」とおっしゃる割には案外よく覚えていらして、皆で驚いたそうです。
ご実家の家紋でもない、そのお宅の家紋でもない不思議な喪服が出てきたときも、「義姉さんの実家の家紋だろう。義姉さんが死んだときに何枚か着物を持って帰ってたから」とアドバイス。大変な戦力だったそうです。
畳紙を一枚ずつ開きながら、娘さん、お嫁さん、お孫さんたちが、「それは私が貰う」とか「それは私には派手かしら?」なんて家族でたんすの中を開けて、一枚、一枚、広げていく光景には、家族の歴史とか重みがあって、なんだか心がホッコリするひとときでした。
結局、処分をする着物はあまりなく、かなり傷んでいるウールの着物とか、毛糸で編んだものとか、とても古い襦袢など、それに、固く縮んでしまった御召らしきもの、金糸が入っているのですがそれが切れてボロボロになってしまっているものなど、数点は引き取って参りました。
色無地は、似たような色がかなり出てきて、ご家族の皆さまは「母さんは、どうしてこんなに同じ色ばかり何枚も作ったんだろう?」と笑いながら思い出話に花を咲かせていました。どうも茶色っぽいきものが好みだったようで、少しずつ色の違う茶系の色無地、ぼかしの入ったタイプなどがたくさん出てきました。
娘さん、お嫁さん、孫娘さんたちの寸法を測って、好みがあってそのまま着用できそうなものは、帯をコーディネートしてそれぞれに、また皆さん道中着タイプのコートをお持ちじゃないとのことだったので、大量に出てきた色無地はコートにリフォームするなど、上手に分けることができました。
長い間、たんすの中で静かに時を過ごしていた着物たち。お父さまのアドバイスもあって処分するものよりも、命を吹き返して活用できるものが増えたのは私たちも、ご家族の皆さまも、なんだかとてもホッとする瞬間でした。
「気に入って良く着ていた」とお父さまが目を細めていう御召はだいぶ固くなっていたので、ソファーに置くクッションにして、お父さまのお引っ越しに同行することになりました。これでお父さまは奥さまの思い出とともにお部屋で穏やかな時間を過ごすことができますね。余り布は、花瓶敷きにしてお付けしようと思います。
お嫁さんは、とても背が高く身丈も裄も身幅も直すことになりましたが、みんなで一緒に分けることができたのがとてもうれしいと、着物などが出来上がってくるまでにお嬢さん(孫娘)と一緒に着付け教室にも通うことになりました。
あまり着物に興味のなかった皆さんが、亡きお母さまのたんすを開けることで、思い出を共有したり、懐かしんだり、それぞれ気に入るものを引き取ったりすることで、家族が一つになったような気がしました。また、天国にいるお母かあさまはとても喜ばれたのではないでしょうか。
たんすは意外にも、更生に出して孫娘さんが引き取るそうです。置くところがないからと娘さん、お嫁さんは要らないとのことだったのですが、意外や意外!「カッコイイ」「もったいない」と言い出して、桐のたんすの説明を少ししたところ、猛烈に欲しくなってくれました。嫁ぎ先が広いとのことと、嫁入りの時に特に欲しいたんすなどもなく、たんすを持たせなかったそうで、丸く収まりなによりです。
さて、たんすコンシェルジュへの相談ごとですが、本当にご相談内容や悩みは多岐に渡っていて、着物の奥の深さや、たんすの中の「ものがたり」を感じる今日この頃です。洋服だったら、例えばもう着られないとか、かなり流行遅れとか、相当傷んでいるという場合に処分することがありますよね。私の友人は1年着なかったらもう捨てるという断捨離のプロがいます。私は……? ついついとっておいてしまうほうですが、それでも10年前、20年前の服はさすがにありません。
でも、着物は10年前のものがたんすに入っています。20年、30年前のものもたんすに入っていることが当たり前の世界。それだけ高級ですし、大切ですし、貴重なものばかりです。帯も同じこと。
着物はいらなくなっても、着なくなっても、派手になっても、女性が捨てられないものなのだろうと思います。
高級でもったいないから! という理由だけではなく、その着物にまつわる思い出や、思いの深さが「捨てる」という行為と直結しにくいのでしょうね。単なる布ですが、なんとなく、その方の人生の歴史や重みを感じることがあります。
先日、実家のお母さまが亡くなって数年後、お父さまが施設に入るために引っ越しをすることになり、家のものを少なくしなければならないということで、たんすの処分にお困りの方から相談があったので、紀久屋のたんすコンシェルジュがお客さまと一緒に、そのご実家のお宅へうかがって、たんす診断をしてまいりました。
お父さまは、着物のことはすべて奥さま任せで分からないとおっしゃっていらしたのですが、
「それは、お前が七五三の時に母さんが着ていただろう」とか、
「それは、気に入ってずいぶん着ていたぞ」とか、
「その着物はお見合いの時に母さんが着ていた」とか、
「それは、オレが買ってやった帯だ」とか、
なんだか、「分からない」とおっしゃる割には案外よく覚えていらして、皆で驚いたそうです。
ご実家の家紋でもない、そのお宅の家紋でもない不思議な喪服が出てきたときも、「義姉さんの実家の家紋だろう。義姉さんが死んだときに何枚か着物を持って帰ってたから」とアドバイス。大変な戦力だったそうです。
畳紙を一枚ずつ開きながら、娘さん、お嫁さん、お孫さんたちが、「それは私が貰う」とか「それは私には派手かしら?」なんて家族でたんすの中を開けて、一枚、一枚、広げていく光景には、家族の歴史とか重みがあって、なんだか心がホッコリするひとときでした。
結局、処分をする着物はあまりなく、かなり傷んでいるウールの着物とか、毛糸で編んだものとか、とても古い襦袢など、それに、固く縮んでしまった御召らしきもの、金糸が入っているのですがそれが切れてボロボロになってしまっているものなど、数点は引き取って参りました。
色無地は、似たような色がかなり出てきて、ご家族の皆さまは「母さんは、どうしてこんなに同じ色ばかり何枚も作ったんだろう?」と笑いながら思い出話に花を咲かせていました。どうも茶色っぽいきものが好みだったようで、少しずつ色の違う茶系の色無地、ぼかしの入ったタイプなどがたくさん出てきました。
娘さん、お嫁さん、孫娘さんたちの寸法を測って、好みがあってそのまま着用できそうなものは、帯をコーディネートしてそれぞれに、また皆さん道中着タイプのコートをお持ちじゃないとのことだったので、大量に出てきた色無地はコートにリフォームするなど、上手に分けることができました。
長い間、たんすの中で静かに時を過ごしていた着物たち。お父さまのアドバイスもあって処分するものよりも、命を吹き返して活用できるものが増えたのは私たちも、ご家族の皆さまも、なんだかとてもホッとする瞬間でした。
「気に入って良く着ていた」とお父さまが目を細めていう御召はだいぶ固くなっていたので、ソファーに置くクッションにして、お父さまのお引っ越しに同行することになりました。これでお父さまは奥さまの思い出とともにお部屋で穏やかな時間を過ごすことができますね。余り布は、花瓶敷きにしてお付けしようと思います。
お嫁さんは、とても背が高く身丈も裄も身幅も直すことになりましたが、みんなで一緒に分けることができたのがとてもうれしいと、着物などが出来上がってくるまでにお嬢さん(孫娘)と一緒に着付け教室にも通うことになりました。
あまり着物に興味のなかった皆さんが、亡きお母さまのたんすを開けることで、思い出を共有したり、懐かしんだり、それぞれ気に入るものを引き取ったりすることで、家族が一つになったような気がしました。また、天国にいるお母かあさまはとても喜ばれたのではないでしょうか。
たんすは意外にも、更生に出して孫娘さんが引き取るそうです。置くところがないからと娘さん、お嫁さんは要らないとのことだったのですが、意外や意外!「カッコイイ」「もったいない」と言い出して、桐のたんすの説明を少ししたところ、猛烈に欲しくなってくれました。嫁ぎ先が広いとのことと、嫁入りの時に特に欲しいたんすなどもなく、たんすを持たせなかったそうで、丸く収まりなによりです。