紀久屋スタッフブログ
2018年06月23日
なんだかお久しぶりです。皆様、おかわりはないですか?
いつの間にか梅雨入りして、早朝は涼しいですが、
夜はむしむし湿度が高い日が増えてきました。夏が近づいているのを感じますね。
先日、21日は「夏至(げし)」でした。
昼間が一番長い日ということで知っている方も多いと思います。
夏至も二十四節気のひとつで、「夏に至る」と書くように、
この日を過ぎると本格的な夏の到来です。
きたる夏に向けて紫外線、暑さ対策を考えていかねばなりませんね。
さて、今日は…焦らしに焦らした研修旅行の久留米絣編です!
久留米絣は、広島の備後絣、愛媛の伊予絣と共に日本三大絣の一つになります。
木綿の風合いと深い藍色、明快な絣模様が特徴で、
十字絣や亀甲絣、吉祥文様の絵絣などを白や薄藍で表現しているものなど様々です。
数年前の朝ドラで話題になったもんぺなども久留米絣だったそうで、
お話を聞いてびっくりしました。
久留米絣の歴史については諸説ありますが、井上伝(いのうえでん)という
12歳の少女の創意によって始まった技法が基と言われています。
伝はある日、着物に出来た白い斑点が気になって布を解き、その仕組みを明らかに。
それをヒントに、糸を防染してして絣柄を織り出すという技法を編み出しました。
わずか12歳にして、さまざまな柄をつくり出すほど優秀な織手だった伝。
「加寿利(かすり)」と名付けて売りはじめると、
あっという間に「阿伝加寿利(おでんかすり)」として広まりました。
その後、絵絣技法を編み出した大塚太蔵、
緻密な小絣を工夫した牛島ノシ、絣織機を発明した原野与平ほか、
大勢の功労者があり、今のように地域の産業となったのです。
伝さんが気になったことをそのままにしていたら、
久留米絣は生まれてなかったかもしれないと考えると、
そのひらめきと好奇心に感謝しかありません。
わたしも不思議に思ったことは突き詰めてみなければ…と考えさせられました。
研修旅行で今回お邪魔したのは、福岡県八女郡広川町にある坂田織物さん。
「久留米絣」といっても、今は久留米でほとんどつくられておらず、
広川町、筑後、八女、その中でも広川町が半数以上を生産しているそうです。
研修では、坂田織物の坂田さんが久留米絣についていろいろと教えてくださいました。
久留米絣は博多織とは違い、経(たて)と緯(よこ)の密度が均一でとても丈夫。
また、着心地もいいため昔は野良仕事など庶民の着物として愛されていました。
久留米絣の特徴の一つである絣についても、
昔は手括りで、綿の糸に対して麻でしばってその都度切っていたそうです。
(「括り」とは…絣糸をつくる時に、染めないところを防染するため糸で括ること)
そんな手間のかかる手括りの絣糸を純正天然藍で染め、
なげひという手織織機で織ったものが、
綿織物ではじめての「重要無形文化財」に指定されています。
こうなってくると気軽に着られるようなお値段ではなくなってきますよね…。
しかし、今やパソコンでデータ化して、「括り」も機械でできるようになりました。
今回、久留米絣の広川町の組合も見学させていただき、
世界でここに2台しかないという、絣括り機も見せてもらいました。
↑括りの部分
白くブレているところが高速回転し、糸を括っています。
この回転方向は左右交互に行われ、糸に片方向のよりがかからないようになっているのだそうです。
↑括られた糸がでてくるところ
ところどころキュッとなっているところが括られた部分。
手括りとの違いは、括りの糸が麻でなく糊付けした綿であることと、
その綿の糸が最後まで全て繋がっているということ。
絣括り機はちろん出来上がりも早く、物にもよりますが、
だいたい12反が約5時間半で括れてしまうそうです。
恐るべしですよね。
かかる時間と手間が全然違うため、
機械で括られたこちらの久留米絣は大分お求めやすい価格なんだそう。
久留米絣は、重要無形文化財に指定されるような作家さんの作品から、
量産品で手軽に楽しんでもらえるようなものまであり、
その幅広さは他の着物にはないとそうです。
絣括り機を見学した後は、坂田織物さんの自社工場へ。
工場内は20台ほどの織機が並び、博多織の時同様、
1人の方が何台もの織機の面倒を見ていました。
見学していて、なんだかレトロな感じの織機だなと思っていたら、
大正時代から使っているものだったそうで、
それを大切にたいせつに今でもなお使っていたり、
他の機屋さんから譲り受けたものだったりするそうです。
スタッフさん曰く、“最新の織機よりも少しスピードが遅い分、
空気が入るようなイメージで、温かみのあるものになっているのではないかな”と。
年代物ということもあって湿度や温度、その日の天気などによって微調整を要するので、
機械であっても経験で使いこなしていかなければならないようです。
最後は、染めのための藍甕(あいがめ)を見せていただきました。
浮いている泡が、藍が発酵することでみせる「藍の花」。
これが見えるのは藍が元気な証拠。
いつも元気な状態にさせることはとても難しく、
これもまた織機同様、気温・湿度などによって変わってくるので、
毎日のお世話が大変なんだそうです。
元気がないときは、発酵を促す石灰や泡盛をあげるそうで、
お話を聞いていたらだんだんと生き物なんだなというのを感じました。
今回、二日間の研修旅行を経て、
博多織も久留米絣も、コンピューターを導入していることが
私の中ではとても印象に残りました。
伝統を繋いでいくところでも、どんどん新しい技術は活用されている。
コンピューター導入で作業スピードが上がり、生産量が増え、
少しは楽になったのかな、なんて思っていたのですが、
研修にお邪魔したところでは、
「この導入で楽をしているわけではなく、
あくまでも正確さを上げるために活用しています」と聞いて、ハッとしました。
より正確で美しい柄の再現、さらなる表現の幅を広げるため。
新しい技術は、自分たちの可能性を広げるためのものだという捉え方は
今まで自分はしていなかったのを感じました。
科学の進歩に頼りきるのではなく、それを活用し、自分たちの技術を高めていく…
そんな、努力を怠らない、前に進むまっすぐな意識は
素晴らしく、そして誇りであるなと思いました。
2日間の研修に関わってくださった皆様、本当にありがとうございました!
いつの間にか梅雨入りして、早朝は涼しいですが、
夜はむしむし湿度が高い日が増えてきました。夏が近づいているのを感じますね。
先日、21日は「夏至(げし)」でした。
昼間が一番長い日ということで知っている方も多いと思います。
夏至も二十四節気のひとつで、「夏に至る」と書くように、
この日を過ぎると本格的な夏の到来です。
きたる夏に向けて紫外線、暑さ対策を考えていかねばなりませんね。
さて、今日は…焦らしに焦らした研修旅行の久留米絣編です!
久留米絣は、広島の備後絣、愛媛の伊予絣と共に日本三大絣の一つになります。
木綿の風合いと深い藍色、明快な絣模様が特徴で、
十字絣や亀甲絣、吉祥文様の絵絣などを白や薄藍で表現しているものなど様々です。
数年前の朝ドラで話題になったもんぺなども久留米絣だったそうで、
お話を聞いてびっくりしました。
久留米絣の歴史については諸説ありますが、井上伝(いのうえでん)という
12歳の少女の創意によって始まった技法が基と言われています。
伝はある日、着物に出来た白い斑点が気になって布を解き、その仕組みを明らかに。
それをヒントに、糸を防染してして絣柄を織り出すという技法を編み出しました。
わずか12歳にして、さまざまな柄をつくり出すほど優秀な織手だった伝。
「加寿利(かすり)」と名付けて売りはじめると、
あっという間に「阿伝加寿利(おでんかすり)」として広まりました。
その後、絵絣技法を編み出した大塚太蔵、
緻密な小絣を工夫した牛島ノシ、絣織機を発明した原野与平ほか、
大勢の功労者があり、今のように地域の産業となったのです。
伝さんが気になったことをそのままにしていたら、
久留米絣は生まれてなかったかもしれないと考えると、
そのひらめきと好奇心に感謝しかありません。
わたしも不思議に思ったことは突き詰めてみなければ…と考えさせられました。
研修旅行で今回お邪魔したのは、福岡県八女郡広川町にある坂田織物さん。
「久留米絣」といっても、今は久留米でほとんどつくられておらず、
広川町、筑後、八女、その中でも広川町が半数以上を生産しているそうです。
研修では、坂田織物の坂田さんが久留米絣についていろいろと教えてくださいました。
久留米絣は博多織とは違い、経(たて)と緯(よこ)の密度が均一でとても丈夫。
また、着心地もいいため昔は野良仕事など庶民の着物として愛されていました。
久留米絣の特徴の一つである絣についても、
昔は手括りで、綿の糸に対して麻でしばってその都度切っていたそうです。
(「括り」とは…絣糸をつくる時に、染めないところを防染するため糸で括ること)
そんな手間のかかる手括りの絣糸を純正天然藍で染め、
なげひという手織織機で織ったものが、
綿織物ではじめての「重要無形文化財」に指定されています。
こうなってくると気軽に着られるようなお値段ではなくなってきますよね…。
しかし、今やパソコンでデータ化して、「括り」も機械でできるようになりました。
今回、久留米絣の広川町の組合も見学させていただき、
世界でここに2台しかないという、絣括り機も見せてもらいました。
↑括りの部分
白くブレているところが高速回転し、糸を括っています。
この回転方向は左右交互に行われ、糸に片方向のよりがかからないようになっているのだそうです。
↑括られた糸がでてくるところ
ところどころキュッとなっているところが括られた部分。
手括りとの違いは、括りの糸が麻でなく糊付けした綿であることと、
その綿の糸が最後まで全て繋がっているということ。
絣括り機はちろん出来上がりも早く、物にもよりますが、
だいたい12反が約5時間半で括れてしまうそうです。
恐るべしですよね。
かかる時間と手間が全然違うため、
機械で括られたこちらの久留米絣は大分お求めやすい価格なんだそう。
久留米絣は、重要無形文化財に指定されるような作家さんの作品から、
量産品で手軽に楽しんでもらえるようなものまであり、
その幅広さは他の着物にはないとそうです。
絣括り機を見学した後は、坂田織物さんの自社工場へ。
工場内は20台ほどの織機が並び、博多織の時同様、
1人の方が何台もの織機の面倒を見ていました。
見学していて、なんだかレトロな感じの織機だなと思っていたら、
大正時代から使っているものだったそうで、
それを大切にたいせつに今でもなお使っていたり、
他の機屋さんから譲り受けたものだったりするそうです。
スタッフさん曰く、“最新の織機よりも少しスピードが遅い分、
空気が入るようなイメージで、温かみのあるものになっているのではないかな”と。
年代物ということもあって湿度や温度、その日の天気などによって微調整を要するので、
機械であっても経験で使いこなしていかなければならないようです。
最後は、染めのための藍甕(あいがめ)を見せていただきました。
浮いている泡が、藍が発酵することでみせる「藍の花」。
これが見えるのは藍が元気な証拠。
いつも元気な状態にさせることはとても難しく、
これもまた織機同様、気温・湿度などによって変わってくるので、
毎日のお世話が大変なんだそうです。
元気がないときは、発酵を促す石灰や泡盛をあげるそうで、
お話を聞いていたらだんだんと生き物なんだなというのを感じました。
今回、二日間の研修旅行を経て、
博多織も久留米絣も、コンピューターを導入していることが
私の中ではとても印象に残りました。
伝統を繋いでいくところでも、どんどん新しい技術は活用されている。
コンピューター導入で作業スピードが上がり、生産量が増え、
少しは楽になったのかな、なんて思っていたのですが、
研修にお邪魔したところでは、
「この導入で楽をしているわけではなく、
あくまでも正確さを上げるために活用しています」と聞いて、ハッとしました。
より正確で美しい柄の再現、さらなる表現の幅を広げるため。
新しい技術は、自分たちの可能性を広げるためのものだという捉え方は
今まで自分はしていなかったのを感じました。
科学の進歩に頼りきるのではなく、それを活用し、自分たちの技術を高めていく…
そんな、努力を怠らない、前に進むまっすぐな意識は
素晴らしく、そして誇りであるなと思いました。
2日間の研修に関わってくださった皆様、本当にありがとうございました!