紀久屋スタッフブログ
2018年06月01日
5月22.23日は紀久屋全店舗お休みをいただきまして、
博多へ研修旅行に行ってきました。
今回私たちが学んだのは、博多織と久留米絣。
博多織といえば、京都の西陣、群馬の桐生に並ぶ、日本三大織物の一つ。
このような「博多献上織」が有名です。思い浮かべた方も多いのではないでしょうか。
博多織の歴史は、鎌倉時代に満田弥三右衛門(みつだやざえもん)という人が
宋の国(中国)に渡ったことからはじまります。
弥三右衛門は6年間滞在して、
・朱焼
・箔焼
・そうめん
・麝香丸
・織物
この5つの製法を修得して博多にもどり、
これらの技術は博多の人々に多く伝えられましたが、
唯一織物の技法だけは満田家の家伝としました。
その織物は「広東織(かんとんおり)」と呼ばれ、織りが細かく大変丈夫で、
これが「博多織」の起こりであると伝えられています。
その300年後に、弥三右衛門の子孫が再び中国(明)に渡り織物を研究。
組紐を家業にしていた竹若伊右衛門(たけわかいえもん)とともに織物の改良を重ね、
琥珀織のように生地が厚く、浮線紋(ふせんもん)や柳条という
文様のある織物を作り出すことに成功し、
地名をとって「覇家台織(はかたおり)」と名付けられ、現在の博多織となりました。
そんな博多織が「献上博多織」と呼ばれるようになったのは、
大河ドラマにもなった黒田官兵衛の長男、黒田長政にその丈夫さなどを気に入られ、
その後、幕府への献上品とされました。
そのことから、「献上博多織」となったのです。
ちなみに、この独特な柄には意味があり、
種類としては、独鈷(どっこ)、花皿(はなざら)、縞(しま)の三種類。
独鈷…真言宗では煩悩を破壊し、菩薩心を表わす金属製の仏具の一つ。
花皿…これも元来は仏具の一つで、仏の供養をするとき、花を散布するのに用いられる器。
縞…太い縞が親を、細い縞が子を表しており、
細い縞の両側を太い縞が挟んでいるような状態のものを中子持(親子縞)、
その逆で、太い縞の両側を細い縞が挟んでいるような状態のものを両子持(孝行縞)という。
ちなみに独鈷と花皿はこちら↓
独鈷や花皿には、魔除けや厄除け、難関突破の願いが込められていたり、
親と子を表す縞には、いつの時代も変わらぬ親子の愛情を表し、
家内繁盛の願いが込められていると言われています。
今回はそんな博多織を織っている織屋の
福絖織物さん、西村織物さんへ見学に行かせてもらいました。
見学させていただいた工程は、
意匠部(いしょうぶ)、糸繰り(いとくり)、整経(せいけい)、製織(せいしょく)。
意匠部
図案をパソコンにとりこみ、織物にする為に経糸や緯糸(幅や糸数等)、
図案の柄などを設定・調節していく作業。
ここでの作業によって反物の模様の美しさが左右されるので、
きわめて緻密な設計作業になり、博多織の心臓部ともいえます。
糸繰り
染め上がってきた糸をスムーズに整経できるようにする為、
「枠」という道具に巻きつけます。
染め上がった糸は絡んだり、よれがあるため、
その糸を枠に巻く際、 問題部分を除去・修正して均一化するのが糸繰り。
整経
経糸で柄を出すのが博多織の特徴であるため、
この経糸を必要な長さと本数だけ揃えるのが整経。
糸繰りで巻きつけた枠を指先の感覚や目で確かめつつ
ドラムに綺麗に巻きつける必要があるため、 職人技の光る作業。
製織
整経の出来た経糸に緯糸を通し、ジャガード機をつかって製造していく。
気候条件(湿度など)で微調整が必要となり、技術・感性・経験が必要になってきます。
今回、工房を訪れての一番の衝撃は、その音の大きさでした。
博多織を織る機(はた)は、ジャガードというものがつかわれていますが、
シャトルが左右を行き来する時の跳ね返りの音が“カーンっ”と耳に響きます。
機の状態や織りの進行をチェックされている方々も、耳栓のようなものをされていたり、
会話も大きな声を出して何とかできるような状態でした。
博多織の特徴は、整経のとこでもお伝えしているように、
なんといっても縦糸の本数の多さ!
縦糸だけで5,000~8,000本近く使い、そのたくさんの細い縦糸に太い緯糸で織ることで、
横に波打ち、これが博多織独特の絹なりの音につながります。
また、その織り方により、一度締めると緩みにくくそれでいて締めやすく、
とても丈夫なところも大きな特徴です。
織っている途中のものをルーペで見させていただいたのですが、
縦糸の細さには本当に驚きました。まるでクモの糸のよう。
そんな細い糸で細かい柄を織ってうみだしていくのですから、
気の遠くなるようなお話です。
ジャガード機が誕生するまでは、もちろん手織りをしていたわけですが、
柄を綺麗に出すためにはその力加減などがとても難しく、
今では、手織りができる職人さんもほとんどいらっしゃらないそうです。
そのため、基本的にどちらの織屋さんもジャガード機を使われていました。
手織りでなくなったとはいえ、その機がきちんと動いているかや、
機の調整には、もちろん人の目、力が必要です。
機械やパソコンが導入されても今度はそれを使いこなす技術、経験がいるようになり、
いいものを作るためには努力をおこたりません。
昔も今も、その帯や着尺を作り上げるのには、
たくさん人の技術や努力が集結して、
やっと出来上がるものにかわりないのだなと改めて思いました。
…と、博多織のお話をしていたら、なんだかいっぱいになってしまいました。
ということで、研修旅行の久留米絣編はまた次回!
楽しみにお待ちくださいませ。
博多へ研修旅行に行ってきました。
今回私たちが学んだのは、博多織と久留米絣。
博多織といえば、京都の西陣、群馬の桐生に並ぶ、日本三大織物の一つ。
このような「博多献上織」が有名です。思い浮かべた方も多いのではないでしょうか。
博多織の歴史は、鎌倉時代に満田弥三右衛門(みつだやざえもん)という人が
宋の国(中国)に渡ったことからはじまります。
弥三右衛門は6年間滞在して、
・朱焼
・箔焼
・そうめん
・麝香丸
・織物
この5つの製法を修得して博多にもどり、
これらの技術は博多の人々に多く伝えられましたが、
唯一織物の技法だけは満田家の家伝としました。
その織物は「広東織(かんとんおり)」と呼ばれ、織りが細かく大変丈夫で、
これが「博多織」の起こりであると伝えられています。
その300年後に、弥三右衛門の子孫が再び中国(明)に渡り織物を研究。
組紐を家業にしていた竹若伊右衛門(たけわかいえもん)とともに織物の改良を重ね、
琥珀織のように生地が厚く、浮線紋(ふせんもん)や柳条という
文様のある織物を作り出すことに成功し、
地名をとって「覇家台織(はかたおり)」と名付けられ、現在の博多織となりました。
そんな博多織が「献上博多織」と呼ばれるようになったのは、
大河ドラマにもなった黒田官兵衛の長男、黒田長政にその丈夫さなどを気に入られ、
その後、幕府への献上品とされました。
そのことから、「献上博多織」となったのです。
ちなみに、この独特な柄には意味があり、
種類としては、独鈷(どっこ)、花皿(はなざら)、縞(しま)の三種類。
独鈷…真言宗では煩悩を破壊し、菩薩心を表わす金属製の仏具の一つ。
花皿…これも元来は仏具の一つで、仏の供養をするとき、花を散布するのに用いられる器。
縞…太い縞が親を、細い縞が子を表しており、
細い縞の両側を太い縞が挟んでいるような状態のものを中子持(親子縞)、
その逆で、太い縞の両側を細い縞が挟んでいるような状態のものを両子持(孝行縞)という。
ちなみに独鈷と花皿はこちら↓
独鈷や花皿には、魔除けや厄除け、難関突破の願いが込められていたり、
親と子を表す縞には、いつの時代も変わらぬ親子の愛情を表し、
家内繁盛の願いが込められていると言われています。
今回はそんな博多織を織っている織屋の
福絖織物さん、西村織物さんへ見学に行かせてもらいました。
見学させていただいた工程は、
意匠部(いしょうぶ)、糸繰り(いとくり)、整経(せいけい)、製織(せいしょく)。
意匠部
図案をパソコンにとりこみ、織物にする為に経糸や緯糸(幅や糸数等)、
図案の柄などを設定・調節していく作業。
ここでの作業によって反物の模様の美しさが左右されるので、
きわめて緻密な設計作業になり、博多織の心臓部ともいえます。
糸繰り
染め上がってきた糸をスムーズに整経できるようにする為、
「枠」という道具に巻きつけます。
染め上がった糸は絡んだり、よれがあるため、
その糸を枠に巻く際、 問題部分を除去・修正して均一化するのが糸繰り。
整経
経糸で柄を出すのが博多織の特徴であるため、
この経糸を必要な長さと本数だけ揃えるのが整経。
糸繰りで巻きつけた枠を指先の感覚や目で確かめつつ
ドラムに綺麗に巻きつける必要があるため、 職人技の光る作業。
製織
整経の出来た経糸に緯糸を通し、ジャガード機をつかって製造していく。
気候条件(湿度など)で微調整が必要となり、技術・感性・経験が必要になってきます。
今回、工房を訪れての一番の衝撃は、その音の大きさでした。
博多織を織る機(はた)は、ジャガードというものがつかわれていますが、
シャトルが左右を行き来する時の跳ね返りの音が“カーンっ”と耳に響きます。
機の状態や織りの進行をチェックされている方々も、耳栓のようなものをされていたり、
会話も大きな声を出して何とかできるような状態でした。
博多織の特徴は、整経のとこでもお伝えしているように、
なんといっても縦糸の本数の多さ!
縦糸だけで5,000~8,000本近く使い、そのたくさんの細い縦糸に太い緯糸で織ることで、
横に波打ち、これが博多織独特の絹なりの音につながります。
また、その織り方により、一度締めると緩みにくくそれでいて締めやすく、
とても丈夫なところも大きな特徴です。
織っている途中のものをルーペで見させていただいたのですが、
縦糸の細さには本当に驚きました。まるでクモの糸のよう。
そんな細い糸で細かい柄を織ってうみだしていくのですから、
気の遠くなるようなお話です。
ジャガード機が誕生するまでは、もちろん手織りをしていたわけですが、
柄を綺麗に出すためにはその力加減などがとても難しく、
今では、手織りができる職人さんもほとんどいらっしゃらないそうです。
そのため、基本的にどちらの織屋さんもジャガード機を使われていました。
手織りでなくなったとはいえ、その機がきちんと動いているかや、
機の調整には、もちろん人の目、力が必要です。
機械やパソコンが導入されても今度はそれを使いこなす技術、経験がいるようになり、
いいものを作るためには努力をおこたりません。
昔も今も、その帯や着尺を作り上げるのには、
たくさん人の技術や努力が集結して、
やっと出来上がるものにかわりないのだなと改めて思いました。
…と、博多織のお話をしていたら、なんだかいっぱいになってしまいました。
ということで、研修旅行の久留米絣編はまた次回!
楽しみにお待ちくださいませ。