紀久屋スタッフブログ
2018年01月15日
先週は成人の日でしたね。
岡山は大体の地域で成人の日の前日に成人式が行われます。
紀久屋でも、今年もたくさんのお嬢様のお着付けをさせていただきました。
岡山店だけでも120名以上!
一生に一度の大切な日… 紀久屋から出発されるお嬢様をお見送りさせていただいて、
毎年感慨深くなります。
大事な一日のお手伝いができることは本当に嬉しいことです。
成人式に向かわれるお嬢様を全員無事送り届けた後に、
今年は岡山市の成人式会場「岡山ドーム」にいってきました。
日差しが暖かく、ドーム周辺のグラウンドではたくさんの新成人の方!
自分の時もこんな感じだったかなと思いつつ、
久しぶりに会われるご友人と楽しそうにお話しされる新成人の皆さんは、
とてもキラキラとされておりました。
振袖のコーディネートやヘアアレンジなども皆さん工夫されていて、
新しい感覚や発想を勉強させていただいたりと勝手に楽しませてもらっておりました。
そんな中、ドームの中で行われている式典で
「雨ヲタノシミ風ヲタノシミ」という言葉が耳に入ってきました。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ風ニモマケズ」とかけてお話しされていたのですが、
新成人の皆様がこれから生きていく上で、「雨ニモマケズ風ニモマケズ」も大切だけれど
「雨ヲタノシミ風ヲタノシミ」そんな風に考えられる、
そうやっていろんなことを乗り越えていける大人になってもらえたらとのお言葉でした。
私は新成人ではありませんが、、、いい言葉だなと、心にメモ。
なんだか私にまで収穫のある成人式でした。
今や当たり前になっている「成人式」。起源は何だと思いますか?
成人式は昔の「元服(げんぷく)」にあたります。
「元服」は奈良時代に始められたもので、
男児が大人になったことを表すために服を改め、髪を結い、頭に冠を加える儀式です。
平安時代の公家は12〜13歳で元服し、鎌倉時代になると15〜16歳と少しずつ遅くなっていきます。
平安時代、女子の成人式にあたる儀式は「裳着(もぎ)」といいました。
公家の正装であった「唐衣(からぎぬ)・裳(も)姿(十二単)」といいますが、
「裳」とは腰から下、後ろにひだをとった白絹を引いた衣のことで、
この裳を初めて着ける儀式が「裳着」です。
「裳着」は12〜14歳くらいに行われ、それまでの子供の衣服から大人の正装を身につけるようになりました。
「裳着」の日が近づくと、親戚や知人から祝いの品が届けられ、
女子の成人の儀式も、 男子の「元服」に負けないほどのお披露目がなされました。
「裳着」が済むと、娘たちの結婚の段取りが親たちの間で進められて、
12〜13歳という若さで人生を決められていったのです。
昭和に入り、戦後すぐの昭和23年7月20日に国民の祝日が制定され、
昭和24年1月15日から、その日が成人の日として国民の祝日になりました。
1月15日に定められたのは、
宮中や公家では「元服」が1月5日までに、 武家では1月11日の鏡開きの日に行われたので、
それらを避け、 元日に近いおめでたい日、ということで1月15日に決められました。
近年では1月の第2月曜が成人の日となっていますね。
選挙権のある18歳を成人としようという意見などもありますが、
現在では、精神的にも肉体的にも社会人として認められる20歳を成人として、 成人式が行われています。
成人式は子が親から自立し、親は子に依存する甘えを捨てる良い機会です。
そして、成人式で着物を着るということは、若い女性が日本の民族衣装である着物に触れ、
自分で晴れ着を選ぶ最初の大切な機会といえます。
大人として、意識を変える一つのいい区切りとなっている「成人式」。
長いけどあっという間の20年を振り返り、出会ってきた人、育ててくれたご両親、
いろんな人に感謝しながら、気持ち新たに自分で人生を歩んでいく決意を持って進む 大切な儀式ですね。
そんな大切な時に、着物が関わってくる。
日本人の心として、切っても切れないものであり、
これは絶やさずいつまでも続いて欲しいものだなと改めて思いました。
岡山は大体の地域で成人の日の前日に成人式が行われます。
紀久屋でも、今年もたくさんのお嬢様のお着付けをさせていただきました。
岡山店だけでも120名以上!
一生に一度の大切な日… 紀久屋から出発されるお嬢様をお見送りさせていただいて、
毎年感慨深くなります。
大事な一日のお手伝いができることは本当に嬉しいことです。
成人式に向かわれるお嬢様を全員無事送り届けた後に、
今年は岡山市の成人式会場「岡山ドーム」にいってきました。
日差しが暖かく、ドーム周辺のグラウンドではたくさんの新成人の方!
自分の時もこんな感じだったかなと思いつつ、
久しぶりに会われるご友人と楽しそうにお話しされる新成人の皆さんは、
とてもキラキラとされておりました。
振袖のコーディネートやヘアアレンジなども皆さん工夫されていて、
新しい感覚や発想を勉強させていただいたりと勝手に楽しませてもらっておりました。
そんな中、ドームの中で行われている式典で
「雨ヲタノシミ風ヲタノシミ」という言葉が耳に入ってきました。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ風ニモマケズ」とかけてお話しされていたのですが、
新成人の皆様がこれから生きていく上で、「雨ニモマケズ風ニモマケズ」も大切だけれど
「雨ヲタノシミ風ヲタノシミ」そんな風に考えられる、
そうやっていろんなことを乗り越えていける大人になってもらえたらとのお言葉でした。
私は新成人ではありませんが、、、いい言葉だなと、心にメモ。
なんだか私にまで収穫のある成人式でした。
今や当たり前になっている「成人式」。起源は何だと思いますか?
成人式は昔の「元服(げんぷく)」にあたります。
「元服」は奈良時代に始められたもので、
男児が大人になったことを表すために服を改め、髪を結い、頭に冠を加える儀式です。
平安時代の公家は12〜13歳で元服し、鎌倉時代になると15〜16歳と少しずつ遅くなっていきます。
平安時代、女子の成人式にあたる儀式は「裳着(もぎ)」といいました。
公家の正装であった「唐衣(からぎぬ)・裳(も)姿(十二単)」といいますが、
「裳」とは腰から下、後ろにひだをとった白絹を引いた衣のことで、
この裳を初めて着ける儀式が「裳着」です。
「裳着」は12〜14歳くらいに行われ、それまでの子供の衣服から大人の正装を身につけるようになりました。
「裳着」の日が近づくと、親戚や知人から祝いの品が届けられ、
女子の成人の儀式も、 男子の「元服」に負けないほどのお披露目がなされました。
「裳着」が済むと、娘たちの結婚の段取りが親たちの間で進められて、
12〜13歳という若さで人生を決められていったのです。
昭和に入り、戦後すぐの昭和23年7月20日に国民の祝日が制定され、
昭和24年1月15日から、その日が成人の日として国民の祝日になりました。
1月15日に定められたのは、
宮中や公家では「元服」が1月5日までに、 武家では1月11日の鏡開きの日に行われたので、
それらを避け、 元日に近いおめでたい日、ということで1月15日に決められました。
近年では1月の第2月曜が成人の日となっていますね。
選挙権のある18歳を成人としようという意見などもありますが、
現在では、精神的にも肉体的にも社会人として認められる20歳を成人として、 成人式が行われています。
成人式は子が親から自立し、親は子に依存する甘えを捨てる良い機会です。
そして、成人式で着物を着るということは、若い女性が日本の民族衣装である着物に触れ、
自分で晴れ着を選ぶ最初の大切な機会といえます。
大人として、意識を変える一つのいい区切りとなっている「成人式」。
長いけどあっという間の20年を振り返り、出会ってきた人、育ててくれたご両親、
いろんな人に感謝しながら、気持ち新たに自分で人生を歩んでいく決意を持って進む 大切な儀式ですね。
そんな大切な時に、着物が関わってくる。
日本人の心として、切っても切れないものであり、
これは絶やさずいつまでも続いて欲しいものだなと改めて思いました。