紀久屋スタッフブログ
2018年07月06日
全国的に記録的な大雨、皆さんご無事ですか?
この大雨で、土砂災害や川の氾濫が起こり、避難勧告が出ていたりと
油断できない状況が続いています。
お出かけする際、または家の中にいる場合でも、十分に注意してくださいね。
ちなみに、岡山県は7日朝まで雷を伴い非常に激しく降るところがあるそうで、
明日の七夕はどんな一日となるでしょうか?
そう、この大雨で星の見えない夜が続いているのですが、明日は「七夕(たなばた)」。
年に一度、織姫と彦星が逢うことのできる特別な日です。
七夕の由来は、皆さんもご存知の織姫・彦星の星物語から始まります。
現在の7月7日はまだ梅雨のさなかで
星空もよく見えないことが多いかもしれませんが、旧暦の七夕は現在の8月。
今とは少し、見え方が違うかもしれないですね。
天の川に輝く琴座のベガが織姫(織女星)で、鷲座のアルタイルが彦星(牽牛星)。
この2つの星と白鳥座のデネブを結んだものが「夏の大三角形」と呼ばれ、
夏の星座を探す目印となっています。
白鳥座は、二人の橋渡し役となるカササギ。
さて、そんな二人の物語をご存知ですか?
「七夕の物語」
北天の川の西岸に織姫という姫君が住んでいました。
織姫は機織りの名手で、美しい布を織り上げては
父親である天帝を大変喜ばせておりました。
そんな娘の結婚相手を探していた天帝は、
東岸に住む、働き者の牛使いの彦星を引き合わせ、二人はめでたく夫婦になりました。
ところが、結婚してからというもの、二人は仕事もせずに仲睦まじくするばかり。
これに怒った天帝が、天の川を隔てて二人を離れ離れにしてしまいました。しかし、悲しみに明け暮れる二人を不憫に思った天帝は、
七夕の夜に限って二人が再会することを許しました。
こうして二人は、天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り、
年に一度の逢瀬をするようになったのです。
織姫が機織りの名手ということで、なんだか着物に関わりのある日ですよね。
他にも色々と説はありますが、絵本など物語として語り継がれているのは
このお話が一番多いかもしれません。
七夕といえばもう一つ特徴的なのが、短冊にお願いごとをかくこと。
これは、織姫・彦星の物語とは別に、
七夕の由来となった中国のおまつり「乞巧奠(きっこうでん)」が関わってきます。
このおまつりは、女性の技芸(織物や書、笛など)の上達を祈るものでした。
技芸の上達を願って梶(かじ)の葉に歌を書いた習わしが短冊の起源とも言われています。
その後、笹に短冊を吊るして楽しむのは江戸時代に庶民に広まり、
これは日本特有の文化とされています。
江戸時代に広まっていったきっかけは、
手習いごとをする人や、寺子屋で学ぶ子が増えたことから、
星に上達を願うようになったのが始まりで、
本来はサトイモの葉に溜まった夜露を集めて墨をすり、
その墨で文字を綴って手習い事の上達を願います。
なぜサトイモの葉かというと、
サトイモの葉は神からさずかった天の水を受ける傘の役目をしていた
と考えられているため、
その水で墨をすると文字も上達するといわれているからだそうです。
短冊の起源が、技芸などの上達を願ったのがはじまりということで、
だから、「〜できますように」「〜なりますように」などで
締めくくることが多いのだなと感じました。
起源を知ると、短冊には「○○が欲しい」というような物質的な願い事ではなく、
やはり、上達や夢を綴ったほうがいいのかななんて考えてしまいましたが、
願い事は自由、もはや日本特有の文化として根付いている今は、
思いのまま綴ればいいのでしょうね。
ちなみに、短冊や七夕飾りのその後についてですが、
七夕飾りや笹は七夕の夜のためのものなので、翌日には取外します。
本来は川に流して清めるものですが、今の時代そうもできないので
川には流さないで小さく切ってごみの日に出しましょう。
ただし、願い事を書いた短冊に関しては、
気になる方は、社寺に持っていってお焚き上げしてもらうのもいいかもしれません。
いつの間にか、七夕についてつらつらと書いてしまいましたが、
皆さんは、今年どんなお願い事をされましたか?
「7がつ7かのよるにはれますように」
先日、こんなお願い事を見つけてとてもほっこりしました。
自分のことを振り返ると、私は当たり前のように
自分のお願い事を書いてきたような気がするのですが、
これ書いた子はきっと、織姫と彦星のお話を聞いて、
二人が無事で会えることを願ったのではないかなと思いました。
そんな視点を持っていたいですね。
まだまだ雨の影響は油断できませんが、
皆さんにとって素敵な七夕の一日となりますように…。
この大雨で、土砂災害や川の氾濫が起こり、避難勧告が出ていたりと
油断できない状況が続いています。
お出かけする際、または家の中にいる場合でも、十分に注意してくださいね。
ちなみに、岡山県は7日朝まで雷を伴い非常に激しく降るところがあるそうで、
明日の七夕はどんな一日となるでしょうか?
そう、この大雨で星の見えない夜が続いているのですが、明日は「七夕(たなばた)」。
年に一度、織姫と彦星が逢うことのできる特別な日です。
七夕の由来は、皆さんもご存知の織姫・彦星の星物語から始まります。
現在の7月7日はまだ梅雨のさなかで
星空もよく見えないことが多いかもしれませんが、旧暦の七夕は現在の8月。
今とは少し、見え方が違うかもしれないですね。
天の川に輝く琴座のベガが織姫(織女星)で、鷲座のアルタイルが彦星(牽牛星)。
この2つの星と白鳥座のデネブを結んだものが「夏の大三角形」と呼ばれ、
夏の星座を探す目印となっています。
白鳥座は、二人の橋渡し役となるカササギ。
さて、そんな二人の物語をご存知ですか?
「七夕の物語」
北天の川の西岸に織姫という姫君が住んでいました。
織姫は機織りの名手で、美しい布を織り上げては
父親である天帝を大変喜ばせておりました。
そんな娘の結婚相手を探していた天帝は、
東岸に住む、働き者の牛使いの彦星を引き合わせ、二人はめでたく夫婦になりました。
ところが、結婚してからというもの、二人は仕事もせずに仲睦まじくするばかり。
これに怒った天帝が、天の川を隔てて二人を離れ離れにしてしまいました。しかし、悲しみに明け暮れる二人を不憫に思った天帝は、
七夕の夜に限って二人が再会することを許しました。
こうして二人は、天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り、
年に一度の逢瀬をするようになったのです。
織姫が機織りの名手ということで、なんだか着物に関わりのある日ですよね。
他にも色々と説はありますが、絵本など物語として語り継がれているのは
このお話が一番多いかもしれません。
七夕といえばもう一つ特徴的なのが、短冊にお願いごとをかくこと。
これは、織姫・彦星の物語とは別に、
七夕の由来となった中国のおまつり「乞巧奠(きっこうでん)」が関わってきます。
このおまつりは、女性の技芸(織物や書、笛など)の上達を祈るものでした。
技芸の上達を願って梶(かじ)の葉に歌を書いた習わしが短冊の起源とも言われています。
その後、笹に短冊を吊るして楽しむのは江戸時代に庶民に広まり、
これは日本特有の文化とされています。
江戸時代に広まっていったきっかけは、
手習いごとをする人や、寺子屋で学ぶ子が増えたことから、
星に上達を願うようになったのが始まりで、
本来はサトイモの葉に溜まった夜露を集めて墨をすり、
その墨で文字を綴って手習い事の上達を願います。
なぜサトイモの葉かというと、
サトイモの葉は神からさずかった天の水を受ける傘の役目をしていた
と考えられているため、
その水で墨をすると文字も上達するといわれているからだそうです。
短冊の起源が、技芸などの上達を願ったのがはじまりということで、
だから、「〜できますように」「〜なりますように」などで
締めくくることが多いのだなと感じました。
起源を知ると、短冊には「○○が欲しい」というような物質的な願い事ではなく、
やはり、上達や夢を綴ったほうがいいのかななんて考えてしまいましたが、
願い事は自由、もはや日本特有の文化として根付いている今は、
思いのまま綴ればいいのでしょうね。
ちなみに、短冊や七夕飾りのその後についてですが、
七夕飾りや笹は七夕の夜のためのものなので、翌日には取外します。
本来は川に流して清めるものですが、今の時代そうもできないので
川には流さないで小さく切ってごみの日に出しましょう。
ただし、願い事を書いた短冊に関しては、
気になる方は、社寺に持っていってお焚き上げしてもらうのもいいかもしれません。
いつの間にか、七夕についてつらつらと書いてしまいましたが、
皆さんは、今年どんなお願い事をされましたか?
「7がつ7かのよるにはれますように」
先日、こんなお願い事を見つけてとてもほっこりしました。
自分のことを振り返ると、私は当たり前のように
自分のお願い事を書いてきたような気がするのですが、
これ書いた子はきっと、織姫と彦星のお話を聞いて、
二人が無事で会えることを願ったのではないかなと思いました。
そんな視点を持っていたいですね。
まだまだ雨の影響は油断できませんが、
皆さんにとって素敵な七夕の一日となりますように…。